« 2015年02月 | メイン | 2015年08月 »

最初の動機は不純でもいい・・・

2015年07月21日

最初の動機は不純でもいい

あなたが身だしなみを整える理由が「カッコよくなって、モテモテになりたい」であったとしても、あるいはあなたがバリバリ仕事をする理由が「欲しいモノを自由に買えるほどお金持ちになりたい」であっても、何ら恥ずべきことはありません。現にあなたが本気で取り組んでいるのなら、それをとがめる資格は誰も持ち合わせてはいません。

「モテたい」「お金持ちになりたい」……

動機としては、それは高尚でも崇高でもありません。むしろ不純です。

だからと言って、軽蔑されるべきものでもないのです。「モテたい」「お金持ちになりたい」は、人間が本能的に持っている欲望なのですから……。

たとえ始めた動機が不純であっても、ココロの底から「モテたい」「お金持ちになりたい」と思うのであれば、そのための行動を本気でするはずです。自分の生活のすべてをそれに費やしてもいいし、それだけのことをする価値はあります。

どんな動機ではあっても、本気の行動につながっていくのであれば、歓迎されてしかるべきです。「モテたい」「お金持ちになりたい」という動機も卑俗ではありますが、本気の行動に結びつくのなら、何ら悪いことではありません。

ただし動機がそれだけでは、長く続けにくいことも事実です。最初のうちはモチベーションが高止まりしていますが、だんだんと低下していきます。それにつれて、行動も鈍ってきます。

もともと不純な動機の寿命は短いものです。それは仕方ありませんが、モチベーションの低下とともに一緒に行動も止まってしまったら、とても残念なことです。せっかく始めた行動をさらにつなげていくためには、自分1人のためになる行動ではなく、多くの人のためになる行動に広げていく必要があります。

「モテたい」「お金持ちになりたい」は、あくまでも自分1人のための行動です。自分の利益だけを1人で最大限追求していくので、広がりもないし、達成するまでに時間がかかります。

ところが、自分1人のための行動を多くの人のための行動に昇華していくと、状況が変わります。「カッコよくなって、モテモテになりたい」を「多くの人に安心信頼されて、活躍できるようになりたい」に、「欲しいモノを自由に買えるほどお金持ちになりたい」を「たくさん稼いで困っている人の役に立つようになりたい」と変えていくことで、モチベーションは必然的にアップしていきます。行動も持続されます。

1人のための行動だったものが、多くの人のための行動に変わると、不思議とアイデアがドンドン出てくるようになります。一緒に行動してくれる人も現れるようになります。結果として、達成するまでの時間も短縮されていきます。

たとえ最初の動機が不純であっても、否定されるべきではありません。そこから思いもかけない何かが始まることもあるのですから……。

投稿者 inoue : 19:56 | コメント (0) | トラックバック

努力をカタチにしていく

2015年07月16日

努力をカタチにしていく

確固たる地位に上りつめたり、華々しい業績を残したとき、内面からにじみ出るものがたくさんあります。その1つが、「風格」です。

圧倒的な成果を上げないと出せるようにはならないので、風格は誰でも持てるものではありません。また長くやっていれば出るものでもありません。

風格とは、「私はほかの人の何倍、何十倍やってきた」という気持ちが体外に表れたものです。その意味では、圧倒的な努力がかたちになったものだとも言えます。

出そうと思って出すのではなく、自然に出てしまうもの。それが、風格です。

分かりやすく言えば、オーラみたいなものです。本人は自分で見ることができませんから、それがあることに気づかないものです。人から「出ている」と言われて、初めて気づくものかもしれません。

オーラと言ってしまうと、抽象的なので、もっと具体的に言うと、自信であり、落ち着きであり、気高さです。風格とは、この3つが混ざり合ったものです。

風格のある人は、自信を持っています。ほかの人が及びもつかない実績をつくっているから自信を持っているのですが、それは結果を出したことによってもたらされたものではありません。

何かをやり切った。誰もやれないくらいトコトンやった……。

そういう自分の行動、自分の努力に対する自信が、エネルギーとして体外にほとばしっています。もし結果に対する自信が体外にあふれるようになったら、それは慢心もしくは傲慢です。

風格のある人は、落ち着きがあります。トコトンやり切った余裕の成せる業です。

どこか極めたようなところがあるので、今さらジタバタすることがありません。また何かあっても、動揺することもありません。

風格のある人は、気高さがあります。わが道を行く力強さと、やるべきことをやっている達観を持ち合わせています。近寄りがたい雰囲気を醸し出しますが、それでいて相手を威圧することはありません。

この3つは、抑えようとしても抑えることができないものです。自然に出てしまいますが、「あの人はスゴイ人だ」と思わせるには十分すぎます。この3つを持っているからこそ、周りの人は風格のある人に敬意を持って接するようになるのです。

41_large

投稿者 inoue : 07:27 | コメント (0) | トラックバック

一流の人はいつ会っても、変わらない

2015年07月14日

一流の人はいつ会っても、変わらない

私がお会いした世界中の一流の人たちは、「いつ会っても、変わらない」人たちばかりです。「変わらない」とは言っても、もちろん、まったく「成長していない」ということではありません。

いつまでも第一線にいますから、ステータスが変わることはあります。変わらないのは、そういう目に見える部分ではなく、目に見えない部分、具体的には、人としての「あり方」です。

そういう人たちといつまでも付き合っていこうと思うと、こちらも「成長しないといけない」と触発されます。これが、本当の意味での切磋琢磨です。

変わらないあり方とは、次の3つで構成されています。言われてみれば、いずれも当たり前なことばかりです。

1つ目は、誰に対しても誠実である。相手によって態度や対応を変えたりしません。極端なことを言えば、赤ちゃんに接しているときと、グローバル企業の経営者や権力者と接しているときの態度対応が同じです。

自分にとってメリットのある人には迎合して、何のメリットもない人にはつれなくするという差別的な対応をすることがありません。一流と言われる人の中にもまれにそういう人はいますが、例外なくその人はいつの間にかフェードアウトしていきます。

相手によって態度対応を変えないのは、自分に自信があるからです。「誰にも負けないくらい頑張ってきた」という矜持があるから、いつも同じようにふるまうことができます。

2つ目は、しっかりした軸・価値観を持っている。世の中の動きや常識などに左右されず、自分自身の確固とした軸・価値観をもとに行動しています。

別の言葉で言えば、首尾一貫性があり、ブレることがありません。行動内容のクオリティーが高く保たれるだけでなく、進化&深化しています。

3つ目は、学びに貪欲である。一流になってもまだ学びを続けています。成長意欲が衰えることはなく、むしろ一流になったからこそ、さらに学び続けていると言ったほうが実態です。

一流になっても、「もっともっと上を目指そう」としていますから、学びをやめることはありません。その背景には、学びをやめたら、衰退するという危機感があります。

3つすべてを兼ね備えるのは、やろうと思えば誰でもできることです。ただし、カンタンではありません。逆に言うと、すべてを兼ね備えることができれば、誰でも一流になれるということです。

一流の人は、おごり高ぶらず、常に自分自身を磨き続けています。それは、目に見えない内面のことなので、第三者からすれば、まったく「変わっていない」ように映ります。

変わっているのに、変わらないように見えてしまう――。そこが、一流の人が一流たるゆえんです。

IMG_3257

投稿者 inoue : 16:54 | コメント (0) | トラックバック